出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 内モンゴル自治区 バヤンノール市 ウラド前旗 大佘太鎮 |
資料にある地域情報 | 安北城内 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 安北城内では日曜日の外出といっても行く処はなく、唯一行く処は酒保だけであった。古参兵はピー屋(女郎屋で対象者は支那人、朝鮮人の女)へ行く者がおり、日曜日の午後は時折大きな風船(ゴムのサック)が内務班に吊るされていた。 |
証言者 | 那須四郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 想い出の記 自昭和16年6月 至昭和20年12月 |
著者、公文書発信者など | 那須四郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000.3.27 |
発行所 | 手帖舎 |
ページ | 45 |
出典備考 | 注:46pに安北を出発し、包頭で一泊し、黄河を渡河しオルドス砂漠を東に向かう旨の記述がある。 |
備考 |
注:アジア歴史資料センターの資料には安北に関する地図が幾つかある。例えばC1111145022の0704の地図には「鳥拉素海」という湖や安北が記載されていて位置関係がわかりやすい。他の資料によると、古くは「大余太」と呼ばれていたが、1942年に安北県となり、1958年に「大余太」公社に改名されたとある。現地図と比較すると、旧地図の安北の位置は現・大余太鎮に相当する。大余太鎮は包頭市の北西にある。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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