出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 河北省 承徳市 |
資料にある地域情報 | |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 「ええ、此処が立哨場所なんですが、野郎またとんずらを決めこみゃがったな」・・・やがて石原軍曹は、一人の兵を連れて戻ってきた。「南門の歩哨佐々木一等兵です、この野郎城外で動哨していました」・・・南門歩哨の城外動哨の実態が、石原軍曹によって明らかとなっていった。その城外動哨の実態とは、清水隊長が憂慮した通りで、軍人として尤も恥ずべき凌辱行為だったのである。・・・その頃の中国では何処へ行っても、ショウトルピイ(所謂淫売婦)なるものが存在し、節操を誤り理性を失って、あたら身を滅ぼした例が数多くあったのである。分遣隊の城外動哨も、その淫売婦買いを隠語にしたものであってこれを公にすれば、まさに軍法会議だったのである。 |
証言者 | 清水政司 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 分遣隊物語 |
著者、公文書発信者など | 清水政司 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007.12.20 |
発行所 | 私家版(本庄市) |
ページ | 34-35 |
出典備考 | 注:「城外動哨」が「淫売婦買いを隠語にしたもの」で、「これを公にすれば、まさに軍法会議だった」とは、南門の上が立哨場所なのだが、その場を勝手に離れ、城外で淫売婦買いをしていて、それを「城外動哨」と隠語で呼んでいたということ。 |
備考 |
『満州帝国分省地図』の北京の北東に承徳がある。現在の地図の承徳市である。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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