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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報河北省 石家荘市
資料にある地域情報河北省 石家荘
慰安所があった時期1941年3月頃
記載内容待望の外出が許可された。・・・週番士官の服装検査が始まる。続いて外出時の注意があって、サックとチューブ入りの星秘膏が支給された。・・・トラックに乗って一路、石家荘の街へ向かった。・・・二回目からの外出は、要領がわかったので、気持にゆとりがあった。いちおう地理を頭に入れたので、腹が一杯になると、慰安所を目指して直行した。慰安所はだいたい1ヵ所に集められていて、たばこの煙と兵隊で一種異様な空気が漂っていた。兵隊たちは自分の番がくるのを待っている。日本、朝鮮、支那と種々雑多の慰安婦が、日中というのに濃い化粧をして嬌声をあげ、「チューリップの兵隊さん」と片言で呼びかけてくる。・・・私たち同年兵は、よく「海東館」とか「明月」という慰安所に行った。
証言者佐藤寛二
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル赤いチューリップの兵隊 ある兵士の足跡
著者、公文書発信者など佐藤寛二
公文書宛先
発行日1978.5.4
発行所千秋社
ページ76-78
出典備考
備考 『満州帝国分省地図』では、太石線と京漢線が交差する地名は石門であり、石家荘市の地名は見えない。現在の地図の保定市の南西に石家荘市があり、石家荘市は河北省の省都である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門(シリーズL500、1954~)に「石門」が記されている。地図の下部左側である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-5.jpg
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