出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 河南省 漯河市 舞陽県 何口村 |
資料にある地域情報 | 何口 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 何口にある司令部といっても、中国の何処にもある小さな部落であった。8月10日午后4時半頃、交代の北兵団の師団長や参謀長が乗馬でこられ、各部班の兵も続々としてやってきた。木村師団長や参謀長は師団第一梯団として既に出発されていたので、我々残留員は第二梯団として、藤井管理班長が指揮をとられて、日暮れの何口を去って洛陽に帰ることとなった。第一車は戦闘の経験のある慰間隊員18名が乗車。第二車は慰安婦24名が乗車。 |
証言者 | 北芝秀夫 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第110師団司令部 |
資料タイトル | 遥かなり大陸の戦野 姫路歩兵第139連隊史余聞 |
著者、公文書発信者など | 伊藤栄一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.10.17 |
発行所 | 姫路第139連隊戦友会 |
ページ | 309 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・襄城(シリーズL500、1954~)の郾城の西方に「何口集」がある。現在の地図で同所は何口村である。テキサス大学図書館公開の中国地図・襄城は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ni49-12.jpg |