出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 河南省 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 地名特定不可能 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 日曜日は外出が許される。配給品は性病予防のゴム製品で慰安所へ行けというのである。慰安所は良民の子女を犯してはならないと、兵のために作った軍の施設で無料。町の離れにあったが、アンペラ囲いの2畳ぐらいの丸太小屋。・・・隊内には「慰安婦」という娼婦が7,8人常駐していた。将校専用で高等官待遇。兵たちが行軍4,5日でようやく辿りついた駐屯地に、彼女たちは軍の車で先回りし、奇麗にお化粧を待つのだった。 |
証言者 | 屋祢本正雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 槍派遣北2971部隊 |
資料タイトル | 大いなるみち |
著者、公文書発信者など | 屋祢本正雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.6.5 |
発行所 | 叢文社 |
ページ | 136 |
出典備考 | 注:証言者は1944年3月応召。本資料は前編と後篇に分かれている。前篇は検閲を逃れ持ち帰った日記帳2冊を元に江先光が解読し解説を付したもので、後編は「自分の書いた文字が読めず記憶によったもの」とあり、重複があるかもしれないと記されている。郾城到着は1944年7月。1945年4月に公用出張があるが、基本的には郾城に駐屯。同年6月29日に大庄に移動。本証言には地名は記されていないが、郾城か大庄と思われる。 |
備考 |