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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報山東省 煙台市 棲霞市
資料にある地域情報棲霞
慰安所があった時期1943年
記載内容19大隊は高度分散配置についていた関係上、4名(以前は3名)の軍医がいた。本部にいるのが一番先任の軍医で、「高級軍医」と呼ばれ、残りの3名は各中隊に配属されていた。そのなかの棲霞の中隊に配属になっていた医学専門学校を出たばかりという若い軍医は、サックもつけずにピー屋の女に接したため、たちまち淋病をうつされてしまった。ちょうど、青煙道路がズタズタに切断されて、芝罘との連絡が途絶したときだったので、薬が手にはいらず、病気は慢性化し、後々まで尾をひいてこの軍医を苦しめた。
証言者桑島節郎
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル華北戦記 中国にあったほんとうの戦争
著者、公文書発信者など桑島節郎
公文書宛先
発行日1997.12.1
発行所朝日文庫
ページ251-252
出典備考本資料は朝日文庫。単行本は1978年7月図書出版社より刊行。
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・YEN-T'AI(シリーズL500、1954~)の蓬莱の南に「棲霞(CH'I-HSIA)」がある。棲霞は招遠市の東方にある。地図の中央付近下寄りにある。現在の地図で同所は「棲霞市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・YEN-T'AIは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj51-9.jpg
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