出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山東省 徳州市 |
資料にある地域情報 | 徳県 |
慰安所があった時期 | 1940年3月 |
記載内容 | 中隊長は徳県ホテルに泊っていた。ここで2,3日列車の都合を見ることとなり、その間毎日兵隊は兵舎で寝たり、一部外出が許可されてかれは、大抵徳県の街に出掛けた。・・・街は済南に近いので、徳県城内は大都市であった。日本のカフェーが軒を並べている。山辺曹長は自分の業務を放って、給養係の特権で大分余分の金が余り、梅子の酒場というカフェーで数十円一晩に消費し、明け方またちょっと宿舎に帰り、直ぐまた出て行った。・・・徳県駅の東南方に秘屋の一角があって、もう討伐隊の者が沢山うろついていた。太った綺麗な女が沢山いて、簡易な慰安所である。 |
証言者 | 矢澤新五 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 生きて帰れまい この命 支那事変の記憶 |
著者、公文書発信者など | 矢澤新五 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007.3.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 144-145 |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』に「徳県」がある。済南から北西に延びる石徳線の山東省端に「徳県」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・徳県(シリーズL500、1954~)に「徳県」がある。山東省の西端である。現在の地図で同所は「徳州市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・徳県は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-10.jpg |