出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 山東省 濰坊市 安丘市 景芝鎮 |
資料にある地域情報 | 山東省 景芝鎮 |
慰安所があった時期 | 1941年か1942年 |
記載内容 | 分隊長からの進言で、私設慰安婦を囲うことを許した(以前にもこれがなかったわけではない)。中隊本部もそうだが、分遣隊といえども「苦力」の1人や2人は常に隊へ出入りしている。この中には敵側の密偵も入り込んでくるので、この苦力の人選は極めて厳しく取扱った。さて、この分遣隊に出入りする「趙」という苦力に、分遣隊の慰安婦として、いわゆる「花姑娘」の人選を依頼したところ、さっそく連れてきた姑娘は18,9歳の百姓娘であった。本人も衣食住にありつければ、何んでもするという口振りで、すべてを了解して苦力に従ってきたのである。・・・分隊長は、可愛いい子だからまあいいだろうということになり、分遣隊の風呂に入れ、一週間ほど残飯給与・・・で日本食を与え、心身共に日本へ近づけようと計り、姑娘の居室を別棟に予め用意して個室を設けていた。・・・ |
証言者 | 宮嶋政久 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 北支派遣独立5旅団第16大隊 |
資料タイトル | 私の大陸戦記 |
著者、公文書発信者など | 宮嶋政久 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.9.17 |
発行所 | 井草出版 |
ページ | 190-194 |
出典備考 | 注:著者略歴に「昭和15年12月 北支派遣独混5旅第16大隊現役兵として山東省坊子着入隊」「昭和17年12月 南支派遣独混22旅第125大隊転属」とある。証言は1941年か1942年のことと思われる。 |
備考 | 著者略歴に「昭和15年12月 北支派遣独混5旅第16大隊現役兵として山東省坊子着入隊」「昭和17年12月 南支派遣独混22旅第125大隊転属」とある。 |