出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山東省 濰坊市 坊子区 |
資料にある地域情報 | 坊子 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | ぼくの日記ではね、兵隊は、韓国人ばっかりです、相手、女は。10人くらいはおったでしょうかね。間口、一間くらいの所にね。場所は坊子、膠済線沿線です。青島と済南の中間くらいの所。部隊本部があった。慰安所がありましてね。みな「慰安所」と言っていました。兵隊は1回50銭、下士官は80銭でした。将校は、日本人の遊廓の娼婦でこれだけは1回1円20銭だったと思います。兵隊は全部朝鮮人、将校は日本人ということで。われわれは兵隊ですから将校の、同じ区画にあるのですけれども。L字型になってね。Lの長いほうには朝鮮人ばっかり。間仕切り7間くらいあったのですかね将校のほうは4つか5つくらいあったのでしょうか。・・・ 経営はもちろん部隊でしょうね。部隊だったと思いますよ。民間人という感じではなかったですね。・・・(50銭は軍票で?)いやいや、現金。日本のお金です。儲備券も、向こうで臨時の紙幣も出ていましたけれどね。50銭というのは日本円です。 |
証言者 | 80歳 男 大阪府 |
証言者属性 | 一等兵 |
部隊名 | 混成第5旅団独立歩兵第19大隊(大阪37連隊) |
資料タイトル | 性と侵略――「軍隊慰安所」84ヶ所 元日本兵らの証言 |
著者、公文書発信者など | 1992・京都「おしえてください!『慰安婦』情報電話」報告集編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.7.31 |
発行所 | 社会評論社 |
ページ | 78-79 |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』に「坊子」がある。膠済線の濰県の青島寄りである。テキサス大学図書館公開の中国地図・WEI-HSIEN(シリーズL500、1954~)の同位置に「坊子」がある。現在の地図で同所は濰坊市坊子区である。テキサス大学図書館公開の中国地図・WEI-HSIENは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-16.jpg |