出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山東省 済南市 |
資料にある地域情報 | 大黄河鎮 |
慰安所があった時期 | 1944年12月 |
記載内容 | 5、巡回慰安婦 当時の各中隊は、最前線に2ヵ所位、分遣隊を派遣していた。第2中隊も大黄河鎮と双望鎮に分遣隊を出していた。大黄河鎮分遣隊は隊長望月少尉、補佐大平軍曹で、総勢23名であった。1944年12月の中半頃、中隊本部から電話連絡で、朝鮮人慰安婦を1名送るから準備せよとの伝達で、隊長は直ちに次のような通達を隊員に出した。 急告 慰安婦の部屋は望楼の一階に設置する。希望者は今夜6時より上番した立哨者から30分ごとに下番し、直ちに軍装を解いて慰安婦の部屋に入り、少なくとも次の下番する兵より、10分前までに用を済まして部屋を出る事。 |
証言者 | 行田市 田口新吉 78歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 証言「従軍慰安婦」―ダイヤル110番の記録― |
著者、公文書発信者など | 日朝協会埼玉県連合会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.8.15 |
発行所 | 日朝協会埼玉県連合会 |
ページ | 42 |
出典備考 | |
備考 |
注:大黄河鎮の位置。旧地図に大黄河鎮見えず。アジア歴史資料センター:C13070290800に大黄河駅という駅名が記載されている。済南から10キロに大黄河駅はあった。大黄河という地名があって駅名が付けられたと考え、現時点ではここをとった。巡回慰安の場所として、双望鎮が泰皇島市の近傍にあるのに対し山東省は遠すぎるのではないかという疑問はある。だが、大黄河鎮という地名自体が黄河に由来するとすれば、双望鎮と近い黄河流域は山東省ということになり、河北省からさほど遠くはない。 |