出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山東省 聊城市 陽穀県 |
資料にある地域情報 | 陽殻県 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 陽殻県の中隊に着くと、兵舎の天井から吊るした3枚の毛布で部屋を仕切り、そこへ1人づつ「慰安婦」を入れた。1日目は中隊長以下の将校が独占し、2日目は午前中が下士官、午後は100人を超える兵隊が3人の「慰安婦」に殺到した。兵隊たちは巻脚絆をつけたままズボンを下げて、「早くしろ!」と怒鳴っていた。 |
証言者 | 金子安次 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 伝えたい この思い わたしの戦争体験記・第二集 |
著者、公文書発信者など | がんばれ社民党OB・Gの会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2006.3.20 |
発行所 | イワキ |
ページ | 60 |
出典備考 | 金子安次「「従軍慰安婦」をめぐる現実」 |
備考 |
『満州帝国分省地図』に「陽穀」がある。済南市の南西である。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHI-NAN(WEST)(シリーズL500、1954~)に「陽穀」がある。地図の下部左寄りである。現在の地図で同所は「陽穀県」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHI-NAN(WEST)は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-14.jpg |