出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山西省 運城市 永済市 韓陽鎮 |
資料にある地域情報 | 韓陽鎮 |
慰安所があった時期 | 1938年 |
記載内容 | 或る日、本部に日本の女性を4、5人連れた男が来た。司令部からの紹介状を持っているらしいが慰安所を開かせてくれとの願出らしい。間もなく連隊長の許可がおりて本部下士官達は空家を探した。士官以下女に飢えているので痘痕に笑窪である。軍の公認で定期的に軍医の検診を受け相当に繁昌した。・・・後日、部隊が韓陽鎮を後にして潞安作戦を展開した時、この一群は何処からともなく部隊と合流し激戦の行動作戦について来たのには驚いた。 |
証言者 | 野中満寿治 |
証言者属性 | 日本軍兵士・兵長 |
部隊名 | 77連隊 |
資料タイトル | 支那事変の想い出 |
著者、公文書発信者など | 野中満寿治 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007.12.5 |
発行所 | 新生出版 |
ページ | 44-45 |
出典備考 | 注:目次を見ると、47pに「正月(昭和14年)」、177pに「二度目の正月」がある。時系列に記載したようだ。本件の「慰安所」(43p)は1938年後半のことと思われる。また4-5pに行動要図があり、韓陽鎮の位置が示されている。運城の南西である。 |
備考 | pp4-5に行動要図あり |