出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山西省 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 陽泉-和順-遼県 |
慰安所があった時期 | 1940年12月 |
記載内容 | そこからまる1日トラックに乗せられて南へ下り、和順を通り、遼県(今は左権県となっているそうですが)へ送られました。そこが13大隊の大隊本部がある町でした。・・・遼県までの途中、はっきり覚えはないんですが、・・・途中でトラックが10台くらい焼けたのがずらーっと並んでいたのを見ました。・・・乗っていた古兵さんが「あれは日本軍のトラックや」と言いました。その古兵さんの話では、トラックには「朝鮮ピー」も乗っていたそうです。・・・公娼というものは若い者でも知っていましたが、そういう女性がここまで来ているとは夢にも思わず、朝鮮からそんな若い人がどうして来ているのだろうな?というぐらいの受け止めかたでした。 |
証言者 | 近藤一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 独立混成第4旅団独立歩兵第13連隊第2中隊 |
資料タイトル | ある日本兵の二つの戦場-近藤一の終わらない戦争 |
著者、公文書発信者など | 内海愛子・石田米子・加藤修弘 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2005.1.20 |
発行所 | 社会評論社 |
ページ | 49-50 |
出典備考 | 注:天津、石家荘を経て、陽泉で下車。その後、遼県に送られる途中の光景。軍歴に「1940年 12月~41年3月 初年兵教育」とあり、1940年12月頃の体験を証言したもの。その後、遼県で初年兵教育を受ける。 |
備考 |