| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 安徽省 蚌埠市 |
| 資料にある地域情報 | 蚌埠(注;ポンプーは南京の北東方面) |
| 慰安所があった時期 | 1938年8月28日 |
| 記載内容 | 8月28日 中隊から注意があり、漢口から西安には、我が捕虜数百人もいて共産軍の教育を受けていると、支那軍が宣伝した「日本捕虜優遇」なんて、やっぱり事実であったのか。・・・街を散歩、守備隊の外は殺風景なもの。朝鮮料理を二三素見して大通りへ。・・・支那ピーヤを一巡、若いのがいる。番号札を買うのに一列縦隊に並んでいる。どこもかしこも兵隊ばかりだ。理髪屋に行って散髪。次はいつ散髪ができるかわからない。前の日本人ピーヤは満員。宮下が待ちきれずに帰ってきた。明日はもう出発。 |
| 証言者 | 高島市良 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 日中戦争従軍記 従軍日記より |
| 著者、公文書発信者など | 高島市良 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2001.2.3 |
| 発行所 | 私家版(三重県阿山郡) |
| ページ | 313-314 |
| 出典備考 | 注:313pに「漢口作戦」「日本飛機空爆で良民3千人死んだ」とあるから、1938年のことと思われる。 |
| 備考 | p313に「漢口作戦」の記述あり。 |