出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 安徽省 池州市 貴池区 殷匯鎮 |
資料にある地域情報 | 殷家滙 |
慰安所があった時期 | 1943年12月 |
記載内容 | 最初で最後の慰問袋が渡されたのは、18年の秋頃である。・・・ 11月末だったと思う。大隊本部より、慰問団を派遣するとの連絡があった。私は浪花節でも来るのかと思っていたら、上田中隊長は、中隊の教会風の建物の内部改造を命じた。入口中央扉から奥に向かって廊下を作り、その両側に、アンペラで仕切った4畳半位の小部屋が8室出来上った。その慰問団とは芸能人ではなく、日本人女性を団長とする若い朝鮮人慰安婦8人の一行である。中隊長は、各隊の割りふりを定めた。兵隊の利用時間帯も決められた。・・・衛生用具は必ず使用せよと、細々と念の入った指示をした。慰安所入口は、歩哨が一晩中警戒に当っていた。・・・慰安所開設2日目夜半、敵襲があった。直ちに戦闘態勢に移ったが、敵は射撃を行うのみで接近しなかった。我が慰安所情報を知り、威嚇射撃を行ったものであろう。 |
証言者 | 福岡徳太郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 嵐兵団歩兵第120連隊 第6中隊 |
資料タイトル | 嵐兵団歩兵第百二十聯隊史 血涙の記録(下巻) |
著者、公文書発信者など | 嵐兵団歩兵第120聯隊史編纂委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1977.12.01 |
発行所 | 一二〇友の会 |
ページ | 277 |
出典備考 | 第6中隊 福岡徳太郎「殷家滙の想い出」 |
備考 |
殷家匯(いんかわい)の位置。a-1954『揚子江岸警備』の地図に安慶の東方に「殷家匯」がある。現在の地図では、池州市貴池区殷匯鎮である。テキサス大学図書館公開の中国地図・懐寧(シリーズL500、1954~)の懐寗(安慶)の東方に「殷家滙」がある。地図の中央左寄り「3-7」にある。現在の地図で同所は「池州市貴池区殷匯鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・懐寧は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-7.jpg |