出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 浙江省 湖州市 長興県 |
資料にある地域情報 | 長興 |
慰安所があった時期 | 1938年 |
記載内容 | その検診が終わると、慶子たち18名は5班に編成された。人数は日本人の女がそれぞれ必ず1名ついて、5名、4名、3名、3名とされた。ついで“任地”が告げられた。町か村かわからないが慶子のそれは長興というところだった。金必連、李金花とは別々になった。慶子といっしょにいくのは金承希、鄭裕花の2人だった。もちろん朝鮮人である。 長興は太湖のほとりの、ちょうど大浜遊廓が二つ、すっぽり入るほどの町だった。・・・与えられた“任務”は10日交代で2日の休みをとる兵隊たちを“慰める”ことで、昼は下士官と兵隊、夜は将校というのは揚家宅とおなじだった。でもおどろいたのは初日だった。「アレ、アレ、アレミテヨ、オネサン」揚家宅と違って、今度ははっきり“慰安所”とよばれることになり、小さな土塀の民家に開業した“仕事場”の窓から、朝、顔をだした金承希が叫んだのである。数は20名ほどだったが兵隊の行列ができていたのである。手に手に「突撃一番」を握りしめてである。 |
証言者 | 笹栗フジ(慶子) |
証言者属性 | 日本人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍慰安婦・慶子 |
著者、公文書発信者など | 千田夏光 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.11.30 |
発行所 | 光文社 |
ページ | 171-173 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・武進(シリーズL500、1954~)に「長興」がある。地図の右下にある。現在の地図の同所は「湖州市長興県」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・武進は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-4.jpg |