出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 浙江省 杭州市 |
資料にある地域情報 | 杭州 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 1938 年16 歳の時、綿布工場の就職募集に応じ、村の区長に連れられて全州、巨文島、釜山に着き洋服と靴をもらい嬉しくなりました。ここから大連、上海に行き領事館で書類をもらい、エライ人が日本語で演説しました。おかしいと思いましたが、汽車で着いた杭州の病院で身体検査を受け、「慰安婦」にされました。 杭州には女性が60 人以上いて、ほとんど17-18 歳でした。「ハルコ」と呼ばれました。兵隊は朝9時から夕方5時まで、10-20分毎に入って来ます。6 時から9 時までは中間の軍属で、夜9 時からは将校でした。杭州に1-2年いました。大きな都市で、日本人女性、中国人女性、朝鮮人女性の慰安所があった。別の建物に移った時は、もう少し小さく、4,50名ほどだった。 |
証言者 | ペ・ジョッカン |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち2 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.4.22 |
発行所 | ハヌル |
ページ | 168-182 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・HANG-CHOU(シリーズL500、1954~)に「杭州」がある。地図の左下「2-5」にある。現在の地図の同所は「杭州市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HANG-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh51-5.jpg |