| 出典種別 | 兵士の回想録等 | 
|---|---|
| 現在の地域情報 | 浙江省 紹興市 諸曁市 | 
| 資料にある地域情報 | 諸曁(チューチー) | 
| 慰安所があった時期 | 1945年7月 | 
| 記載内容 | 東京帝国大学に在学中だった1944年(昭和19年)1月、「学徒特別志願兵」として大邱歩兵80連隊に強制入隊、45年7月、中国の諸曁に駐屯していたときのことだ。見習士官になっていた鄭さんは、初めて慰安所を訪れた。二階建ての立派な家で、30人の女性がいた。カナザワサチコといった相手の女性は22歳。日本軍人だとばかり思っていた鄭さんが同じ慶尚南道の出身と知って、彼女は身の上を語りはじめた。小作農だった父親がサハリンへ連行されたあと、弟二人を養うために「日本の工場で働かないか」という日本人の誘いに乗った。下関に着いたが上陸せずに、船の中で1ヵ月すごしたあと中国へ。「処女だったのに……」。そういって泣きくずれた。折あしく、その夜、諸曁の連隊本部の連隊長が遊びに来た。お気に入りの彼女に先客があると知って、大声でどなりこんだ。サチコさんは「命をかけても守ってあげる」と鄭さんをかくまってくれた。「見習士官は慰安所などへ行ってはいけないのです。その場で斬り捨てられても文句はいえなかった。彼女は命の恩人です」敗戦の翌年3月、現地除隊した鄭さんは、帰国のために上海にたどり着いた。そこには日本軍に置き去りにされた数百人もの朝鮮人慰安婦が集まっていた。カナザワサチコも、同級生の姉もいた。 | 
| 証言者 | 鄭琪永 | 
| 証言者属性 | 朝鮮人日本軍兵士 | 
| 部隊名 | 大邱歩兵80連隊 | 
| 資料タイトル | 女たちの太平洋戦争3 暗い青春の日々 | 
| 著者、公文書発信者など | 朝日新聞社 | 
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1992.4.5 | 
| 発行所 | 朝日新聞社 | 
| ページ | 160-161 | 
| 出典備考 | 川名紀美(記者)「《韓国から》引き裂かれた人々を訪ねて 慰安婦に命を救われた」 | 
| 備考 | 
諸曁は杭州市の南、紹興市の南西にある。テキサス大学図書館公開の中国地図・TZ'U-CH'I(シリーズL500、1954~)に「諸曁」がある。地図の左上「3-9」にある。現在の地図で同所は「諸曁市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・TZ'U-CH'Iは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh51-9.jpg  |