| 出典種別 | 被害証言 | 
|---|---|
| 現在の地域情報 | 福建省 廈門市 | 
| 資料にある地域情報 | 厦門 | 
| 慰安所があった時期 | 1942年頃 | 
| 記載内容 | 1939年(昭14)9月頃、面事務所の書記が家にやってくると、父親に書類を渡しているのを、元仁さんは見ている。数日後、学校から帰ってくると、母親と命達さんの2人が抱きついて泣いていた。そこへ面巡査がやってきた。姉の命達さんは、風呂敷を一つ下げただけで巡査に連れられて家を出た。・・・ 命達さんは、1943年(昭18)、故郷に帰ってくると、翌年の2月14日に男の子を出産すると明彦と名づけた。「これがこの子の父さんだ」そういって見せたのは、海軍下士官の服を着て、司令部の建物の前で写った写真だった。・・・元仁さんは、明彦さんの父親が、日本海軍の下士官の小田三郎だと打ち明けられたが、何か深い事情があるのだろうと、姉にたずねるのを遠慮していた。・・・従軍慰安婦にされたいきさつを話し始めた。 面事務所の書記がくると、陸軍病院の看護婦になると、家にたくさん送金できるといった。それを信じて行くと、そこは海軍慰安所だった。そこでは、山本という姓をつけられた。それから転々として最後が厦門の海軍基地だった。そこの慰安所で小田三郎さんと知り合い、逃亡して中国人の家に隠れた。妊娠したことがわかると、彼の手引きで台湾の淡水に逃げた。  | 
| 証言者 | 李命達 | 
| 証言者属性 | 朝鮮人被害者 | 
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 妻たちの強制連行 | 
| 著者、公文書発信者など | 林えいだい | 
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1994.11.20 | 
| 発行所 | 風媒社 | 
| ページ | 237-239 | 
| 出典備考 | 注:李元仁は李命達の弟。 | 
| 備考 | 
テキサス大学図書館公開の中国地図・HSIA-MAN(シリーズL500、1954~)に「厦門」がある。地図の中央右寄り「0-0」にある。現在の地図で同所は「厦門市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HSIA-MANは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng50-15.jpg  |