出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 上海市 |
資料にある地域情報 | 上海 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 17 歳の1938 年秋頃、井戸で水を汲んでいたら、日本人と朝鮮人の男が「服を作る工場に就職させてあげる」と、無理やりトラックに乗せられました。満州の家で「ハヤシサダコ」と呼ばれ、客の相手をさせられました。日本の着物を着て髪も結って人力車で宴会に行くこともありました。日本語もでき客は沢山いたのですが、別の場所へ移されました。そこでは朝から晩まで軍人の相手をさせられ、軍人が私を2階から投げ右腕を骨折したこともありました。何もせず眠らせてくれた優しい日本兵は戦死しました。8年間、台湾、香港、海林、大連、上海、ハルピン等各地の慰安所を転々とし、平壌避難所を経由して24 歳で帰国し、両親と再会できました。 |
証言者 | イム・ジョンジャ |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 『日本軍‘慰安婦'証言集6 歴史をつくる話―日本軍‘慰安婦’女性たちの経験と記憶』 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会付設戦争と女性人権センター研究チーム |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.5.18 |
発行所 | 女性と人権 |
ページ | 187-201 |
出典備考 | |
備考 |