出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 上海市 |
資料にある地域情報 | 上海 |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | 支那の婦女子は必ず、ズロース式のものの上に褲(クツ)と称するものを着けている。これを例の紐でおさえる。・・・私は宣撫治療所、強制直接採便、慰安所の検診等でこれを知った。・・・慰安所の姑娘たちに、その紐は体のため良くないことを注意すると彼女たちは笑い出す。・・・ 昭和18年の夏の或る夕方、一人の将校が抜刀して医務室にやってきた。「岡村軍医出てこいッ、出てこい、」衛生兵が青くなって私に告げにきた。「軍医殿、相当酔っているようですからあまり相手にしない方がいいです、私たちが追い帰えします」と、言う。原因を聞いてみると彼の行く将校慰安所の女が病気のため休養を私から命ぜられた腹いせだった。慰安婦の検診はここでは週に1回行うことになっていた。始め、部隊の医務室に来るようにしたが、その日になると妖しげな女性たちが派手な姿でゾロゾロと衛門を入り医務室にくる。・・・慶寧寺医務室の頃である。常に黄浦江の対岸に夜になると上海市中のネオンが招いでいるから、たまらないのである。 |
証言者 | 岡村俊彦 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍看護婦悲録 |
著者、公文書発信者など | 岡村俊彦 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1968.11.3 |
発行所 | 文献社 |
ページ | 146、341、342 |
出典備考 | |
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