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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報上海市 楊浦区 東沈家宅
資料にある地域情報上海市の西郊に近い軍工路地区 楊家宅
慰安所があった時期1938年1月31日
記載内容その検診のおこなわれた4日前から上海市の西郊に近い軍工路地区の楊家宅で、これも奇妙な一群の建造物が第11兵站司令部の営繕部の手ですすめられていた。・・・防水用ゴム引きシートをバタバタと釘でとめただけの屋根をもった木造バラック、これは急造の軍用施設によくあるので、まあ驚くほど不思議ではないのだが、問題は構造であった。その建物は全部で12棟あるのだったが、しさいに見ていくと、まず各棟のいずれも小区画に仕切られている。小区割りのひとつひとつは、どれも板戸の扉がついていて、手前に2畳ほどの広さの土間があり、その奥が一段高い4畳半の板敷になっているのだった。小部屋である。この小部屋が各棟10室ずつあるのだった。・・・慶子たちはもちろん麻生軍医も知らなかったが、これが『陸軍娯楽所』なのだった。それに間違いないあかしに入口に、いかにも軍人が書いたらしく元気いっぱいの筆勢で『陸軍娯楽所』と書かれた看板が、その夜つるされた。
開業ギリギリまで、具体的にどのように運営するか参謀本部と第11兵站司令部実務担当の古参下士官たちの間でもめた“陸軍娯楽所”は、いざ店開きしてみると、第1日目の午前中ガラガラだった。・・・開業第1日目はそんな中に暮れていった。2日目は、慶子の場合で午前中1人、午後2人、夜1人。初日のようなことはなかったが、誰かの言っていたような「兵隊の行列ができる」ことはなかった。3日目も同じく午前中2人、午後2人。夜は誰もこなかった。
証言者
証言者属性
部隊名
資料タイトル従軍慰安婦・慶子
著者、公文書発信者など千田夏光
公文書宛先
発行日1981.11.30
発行所光文社
ページ106-107、130-138
出典備考注:本資料の131Pには「命令会報で「きたる1月31日より揚家宅に陸軍娯楽所が開設される。その利用方法は次のとおりである」」とある。
備考 その後の調査で「楊家宅」は、正しくは楊浦区の「東沈家宅」である。
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