出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 上海市 虹口区 |
資料にある地域情報 | 上海・公平路・海乃家の本館 |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 〈海乃家〉本館には、慰安婦の部屋が14,5部屋はあったと記憶しています。その女性達の源氏名を、頭をしぼって思い出せば、「いさむ」「艶子」「小銀」「小鈴」「清香」・・・本館と別館合わせて45人くらいの慰安婦がいました。ただ、軍属は何万人といましたからね、それでも足りなかったんでしょう。・・・経営上のことで、海軍との関係では、「金は、全部、あんたが出しなさい、海軍からは一切、金は出せません」ということでした。「設備や食事、衛生器具などについては、海軍ができる限り、便宜をはかりましょう」ということになっていましたね。・・・ただし、親父が雇ってきた人間については、全部、海軍に報告しなければならないという、制約はありましたが、大方、経営については、親父が海軍より一任されていますた。・・・ある意味では、軍命令みたいなものですよ、海軍のやり方に反対できないのですから……。 |
証言者 | 華公平 |
証言者属性 | 慰安所経営者の息子 |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍慰安所〔海乃家〕の伝言 海軍特別陸戦隊指定の慰安婦たち |
著者、公文書発信者など | 華 公平 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.8.15 |
発行所 | 日本機関紙出版センター |
ページ | 36 65 76 |
出典備考 | 証言者は、1944年7月に、上海日本工業学校に転入した。60-61pに「〈海乃家〉本館見取り図」が掲載されている。 |
備考 | pp60-61に「〈海乃家〉本館見取り図」あり |