出典種別 | 目撃証言
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現在の地域情報 | 上海市 虹口区 |
資料にある地域情報 | 上海・海乃家の別館(本館から西か東かはっきりしないが1キロ離れたところ) |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 別館ができた詳しいいきさつについては、海軍軍属が〈海乃家〉にひっきりなしにきていて、本館だけでは足りなくなり、それで、もっと増やしてくれ、ということになったのです。海軍が家を見つけてきて、親父は、女の女給、全ての運営について任されたのです。まあ、いってみれば、うちの親父の最大の仕事は、女を集めることだったのではないでしょうか。それで、親父はしょっちゅう日本に帰ってきていました。年に多い時には、3回くらい帰ってきたように思います。慰安婦の中には、朝鮮人の方もおりましたが、全部、日本内地での採用ですから、親父が朝鮮半島へ直接行って、採用したという朝鮮人の女の方は、確か、いなかったと思います。現地採用は、混血を含め、ほとんど中国人でした。入口を入ったホールの壁の中央には、「一花五円」という、B4サイズの額がかかっていましたが・・・「第日本帝国海軍、海乃家」と書いてあったように思います。その文字が海軍陸戦隊だったかもしれないのですが、「海乃家」という名前だけでは、権威がないからということで、その横に一行か二行、海軍の御用達みたいな文字が入っていました。また、そういうものを店に掲示せねばならない、ということになっていたのではないですか。 |
証言者 | 華公平 |
証言者属性 | 慰安所経営者の息子 |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍慰安所〔海乃家〕の伝言 海軍特別陸戦隊指定の慰安婦たち |
著者、公文書発信者など | 華 公平 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.8.15 |
発行所 | 日本機関紙出版センター |
ページ | 65 83-84 |
出典備考 | 87pに、「〈海乃家〉別館見取り図」が掲載されている。証言者は1944年7月に、上海日本工業学校に転校した。 |
備考 |
p87に「〈海乃家〉別館見取り図」あり
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