出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 上海市 浦東新区 |
資料にある地域情報 | 上海南東の浦東上川路 慶寧寺路 渡口近辺 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私たちは上川路慶寧寺路渡口近くにある二階建ての家を訪ねた。しっかりした造りの家で、上海では比較的有名な民族資本家沈生杜(故人)の私邸を日本軍が接収して司令部にしたというが、部隊が移動してからそこは慰安所になり、二階に2,3人の中国人「慰安婦」がいた。沈氏の息子沈文奎さん(1926年生れ・73歳)と馬坤さんの話では、地元住民はこの家を「東洋房子」と呼んでおり、慰安所の経営者は「小野」という日本人で、妻と子どもと一緒にそこで暮らしていたという。経営していたのは2,3年で、ここは将校用の慰安所だった。 |
証言者 | 沈文奎(沈生杜の息子) 馬坤 |
証言者属性 | 沈生杜氏の息子(1926年生まれ地元住民) 地元住民 |
部隊名 | |
資料タイトル | 上海の慰安所・現地調査報告 上海に慰安所の記憶と痕跡を訪ねて |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
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出典備考 | 『季刊戦争責任研究』第27号、日本の戦争責任資料センター、2000春、10ページ |
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