出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 武漢市 礄口区 |
資料にある地域情報 | 漢口 中山馬路、その御、積慶里 |
慰安所があった時期 | 1938年11月 |
記載内容 | 漢口陥落直後、まだ市中が混とんとしていたころ、中山馬路の交通路付近の空き家に入りこみ、兵隊たちを誘って売春するものが4、5軒あった。これらすべて朝鮮人が引き連れた1軒10人ほどの朝鮮女たちで、戦闘部隊に追随して、売春しながら入城した移動慰安所であった。彼女らの行旅も、軍隊と行動をともにし難渋したらしく、全員うす汚れたみじめなありさまであった。憲兵隊では、これらは風紀を害するとの理由から、兵站司令官に処理を依頼してきたので、兵站は一行を全員積慶里に収容し、これが積慶里入居第一号となった。 |
証言者 | 長沢健一 |
証言者属性 | 日本軍兵士・漢口兵站司令部付き軍医 |
部隊名 | 中支派遣軍竜部隊 |
資料タイトル | 漢口慰安所 |
著者、公文書発信者など | 長沢健一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1983.7.20 |
発行所 | 図書出版社 |
ページ | 49-50 |
出典備考 | 41p「漢口兵站施設配置図」の中に「積慶里」がある。現在の武漢市礄口区の一画である。 |
備考 | p41に「漢口兵站施設配置図」あり |