出典種別 | 兵士の回想録等
|
現在の地域情報 | 湖北省 武漢市 礄口区 |
資料にある地域情報 | 積慶里 |
慰安所があった時期 | 1944年頃 |
記載内容 | 「よし、わかった。積慶里というのがあるが、あそこは軍の経営でおもしろくない。六合里はクーニャンだ。あっちへ行こう」その夜、ぼくはやっと童貞を失った。・・・その後、僕は積慶里へ通いだした。積慶里はレンガの壁で囲まれていた。その一角には管理事務所や医務室がちゃんとあったように思う。「積善の家に余慶あり」という中国の有名な古諺から命名されたというから、これもユーモアだろうか。・・・ピー屋で働かされていたのは、「特殊看護婦」という名目で連れてこられた朝鮮の女性たちが多かった。積慶里も例外ではない。ぼくもその一人と仲よくなって、遊びに行っては「アリラン」をおしえてもらったりした。 |
証言者 | 戸井昌造 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦争案内 ぼくは20歳だった |
著者、公文書発信者など | 戸井昌造 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.7.18 |
発行所 | 晶文社 |
ページ | 96-98 |
出典備考 | 注:著者略歴に「1943年12月学徒兵として入営。陸軍習志野学校を卒業して中国に赴任」とある。 |
備考 |
著者略歴に「1943年12月学徒兵として入営。陸軍習志野学校を卒業して中国に赴任」とある。
|