証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市 武昌区
資料にある地域情報漢口・武昌
慰安所があった時期1938年
記載内容私は、昭和12年(1937)から18年(1943)まで、中国の漢口、武昌にいました。衛生兵の中には、慰安婦の検査に立ち会った兵もいますが、私は患者輸送部の衛生兵でした。部隊と一緒に前線に行き、負傷者が出ると、野戦病院に運んでいくわけです。武昌には、武漢大学がありました。・・・戦争が始まって半年もしないうちに、慰安所ができました。私は、昭和13年(1938)の春には、もう経験しています。・・・陸軍病院になった大学の周りには、職員住宅がありました。もちろん、中国人は逃げてしまい、誰も住んでいません。その家が、慰安所になったのです。1軒に1人の朝鮮人慰安婦がいました。そんな家が3、4軒ありました。慰安婦たちは、20代前半ぐらいの体格のいい女たちでした。兵隊がそこに行くのは、日曜日とか休暇のときです。慰安所に行きたい兵隊には、2,3日前になると部隊本部から慰安券が渡されました。
証言者衛生兵 75歳
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル従軍慰安婦110番 電話の向こうから歴史の声が
著者、公文書発信者など従軍慰安婦110番編集委員会編
公文書宛先
発行日1992.6.15
発行所明石書店
ページ63-64
出典備考
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「武昌」がある。地図の左側中央「4-8」にある。現在の地図で同所は「武漢市武昌区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg
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