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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市 江夏区 湖泗橋
資料にある地域情報湖泗橋
慰安所があった時期1943年前半
記載内容4月12日には、師団司令部が、中支進駐以来の咸寧から西南120キロの湖南省岳州(岳陽ともいう)へ移駐した。・・・これによって、私たちの歩兵第235連隊(鯨第6883部隊)も、横溝橋から東南110キロの湖南省桃林へ移駐することとなる。しかし、私たち初年兵の小隊は、依然として湖泗橋にあった。本隊が、ますます最前線へ進駐したのに、なぜか取り残されように湖泗橋警備隊を動けなかった。・・・一等兵たちにとっては、腹のへる自分のこと以外はなにも考えない毎日であった。下士官や古参兵たちは、警備隊内に一人だけ囲っている(ひょっとしたら一時出張営業していたのかもしれない)朝鮮人(?)の慰安婦のもとへ、もはや堂々と通っていた。彼らには、彼女の部屋への勤務表ができているようであった。もっとも、いつ頃から、慰安婦が炊事係古参の隣りの部屋を職場にしていたのか、私たちは知るよしもなく、恩恵にあずかることも、もちろんなかった。・・・初年兵小隊が、湖泗橋を離れたのは、昭和18年7月14日であった。申し送りの部隊が来たかどうか思い出せないが、翌々16日には、湖南省臨湘県桃林に到着した。
証言者木下博民
証言者属性日本軍兵士
部隊名第40師団(鯨部隊)歩兵第235聯隊第6中隊
資料タイトル戦場彷徨
著者、公文書発信者など木下博民
公文書宛先
発行日1987.4.6
発行所ヒューマン・ドキュメント社
ページ88-89
出典備考現地図の咸寧市北東方向に「湖泗鎮」がある。歩兵第235連隊のあった横溝橋は咸寧市中心部と湖泗橋(湖泗鎮)のほぼ中間位置にある。証言者の小隊は湖泗橋に取り残されたが、後に横溝橋北方の桃林に移駐する。以上の湖泗鎮、横溝橋鎮、桃林村が咸寧市北方周辺の現地図にも認められる。
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)の武昌の南南東に「胡泗橋」がある。地図の下端中央左寄りにある。現在の地図で同所は「武漢市江夏区湖泗橋」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg
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