出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 黄岡市 団風県 |
資料にある地域情報 | 団風 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | 警備隊本部入り口と小径を隔てて向かい合った衛兵所の裏口から50メートルほど離れたところに、例の特殊慰安所があって、日没から日の出までは、この衛兵所から1名の歩哨が、その入り口の通路を定位置にして警戒に当たった。慰安所使用規定が衛兵所のそばの掲示板に張り出されてあり、開店は正午、使用時限は兵が日夕点呼まで、下士官は午後10時までとされ、厳守を命じられていたが、時限を過ぎて使用に来た兵を取り締まれた歩哨が果たしていただろうか。私も1,2回そこに立ったが、時限を過ぎて使用にくる兵隊は、たいてい酔余の機嫌で「ごくろうさん」とか「すんません」とか「ひとつよろしくたのんます」とか言い、黙って通る者はなかった。・・・その特殊慰安所の要員は5~6人であったが、全員が現地嫖(支那人の女性)で、マ富蘭と呼ばれる官能的な容姿の女が、兵隊に人気があったようだ。ここ団風でも、土民たちは餅やふかした甘藷を売りに来た。 |
証言者 | 植村鶴吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 湖北省侵攻記 陽羅から龍仙舗まで |
著者、公文書発信者など | 植村鶴吉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2005.12.8 |
発行所 | 湖北省侵攻記刊行委員会 |
ページ | 51-52 |
出典備考 | |
備考 |
現地図の武漢市中心部の東方、揚子江沿いに「団風県」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「団風」がある。地図の中少し上「9-9」の揚子江沿いにある。現在の地図で同所は「団風県」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg |