出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 黄岡市 紅安県 林家集 |
資料にある地域情報 | 林家集 |
慰安所があった時期 | 1940年 |
記載内容 | この林家集は住民が親日的で、治安維持会の功績も顕著であるとして、聯隊本部から模範地区と指定され、略奪は厳に禁じられていたから、南羅漢寺におけるような所行はできず、窮余、あさましくも、略奪して備蓄した、粗めの白木木綿を住民に売り払って老酒を買い分隊の兵と飲んだ。・・・勤務がなくて飲んだ夜、「植村さん、いかねが」とCがいった。「ン、……」「となりさピー屋きてんだ」わたしはCについていった。予想したとおり朝鮮人女性だった。畏敬に近い驚嘆の感情で眺めた、三店子の夜の女性のようにおもえた。「脱ぎなさいョ。」わたしは南京のときほどあがりはしなかったから、彼女を傷つけないよう、ことばをえらんで辞退した。・・・使用料金は、兵隊の給与が据え置きなのだから、南京と大差はなかったろう。翌日の夕方、点呼時、分隊員を指揮していると、裏口を出た彼女が見物していた。気がついたら、ピー屋の4~5軒先が砲隊本部の宿舎だった。 |
証言者 | 植村鶴吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 湖北省侵攻記 陽羅から龍仙舗まで |
著者、公文書発信者など | 植村鶴吉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2005.12.8 |
発行所 | 湖北省侵攻記刊行委員会 |
ページ | 137-138 |
出典備考 | 「林家集から宜昌作戦へ」の項の記述 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「Lin-chia-shang-wan」がある。ここが林家集であろうか。確信がないがこの辺である。地図の上中央「7-2」にある。現在の地図で同所は「林家集」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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