出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 湖北省 黄石市 大冶市 金牛鎮 |
資料にある地域情報 | 金牛鎮 |
慰安所があった時期 | 1944年5月 |
記載内容 | 第493大隊は、金牛鎮(部落)に留まり、休養と次の作戦準備にはいった。第5中隊の宿舎は、かなりの豪邸と思われる家だが、日本軍に破壊され、荒らされ、住民は居ない。分隊は、例によって廊下を天幕で仕切り寝床を作った。毎日寝る事と、食べる事で過ごしていた。ある日、中隊長が「今日は、これを持って突撃して来い」と言って、中隊全員に小さな紙袋を渡した。袋には「突撃一番」と書いてあった。中にはコンドームが入っていた。中隊長は更に「無理とは言わん。行きたい者は行ってこい」と笑った。兵に小さなどよめきが起こった。嬉しさか、驚きか、妙な事象であった。この件(公認の許可)は、私の軍隊経験の中で、この一度だけであった。早速,先任の飯村軍曹が誘いに来た。本間伍長と私の3人連れで、慰安所に出掛けた。例の奴をポケットに入れて。慰安所は酷い所にあった。壊れた家屋の中に、アンペラ(竹で編んだ筵)で幾つかの部屋に仕切ってあるだけである。隙間だらけの粗末なものであった。それでも兵隊達が一杯で、どの入り口も順番待ちであった。 |
証言者 | 上斗米正雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 満洲第273部隊から支那派遣軍へ |
資料タイトル | 戦友に捧ぐ 1932日間の軍隊 |
著者、公文書発信者など | 上斗米正雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2005.7.29 |
発行所 | 東京図書出版会 |
ページ | 123-125 |
出典備考 | 注:奥付の前のページに著者の従軍ルートと思われる地図がある。その地図の④に金牛鎮があり、この地図の欄外に「④1944.5 武昌 金牛鎮」とある。 |
備考 |
奥付の前のページに地図あり。地図の欄外に「④1944.5 武昌 金牛鎮」とある。
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