出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 咸寧市 赤壁市 羊楼洞村 |
資料にある地域情報 | 羊楼峝 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 連隊の新しい警備配置は、連隊本部及び第2大隊が蒲圻に位置し、第1大隊は羊楼峝に本部を置いて、羊楼司、趙李橋付近の鉄道線警備を担当し、第3大隊はさらに東へ20粁ほど入った山中の東山舗にあって、南方に警戒線を張った。・・・羊楼峝の部落は、南北に山が迫った帯状の谷に位置し、30戸ほどの貧相な家が固まっているだけで、その中に歩兵と砲兵各1ヶ大隊がいるのだから、民家は極めて少ない。酒保と小さい慰安所、邦人の時計屋に雑貨屋各1軒があるだけで、休日に外出しても行く所が無い有様だった。3日ばかり前駐部隊の第6師団の中隊と同居したので、私は将校室の一つを開けて貰って入っていた。ところが向かいの中隊長室に、女の姿がチラチラする。おかしいなあ、と思ったが、朝になるとその女と当番兵とが、仲良く談笑しながら炊事をしたり掃除をしたりしている。中隊長専属の女性が公然と兵舎内に起居し、移動の時は中隊と共に行軍して行く。兵隊も普通のこととして、格別何の抵抗も感じていないらしい。 |
証言者 | 久米滋三 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第6師団第一大隊第11中隊 |
資料タイトル | 日中講和決裂と中支激戦録 |
著者、公文書発信者など | 久米滋三 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.11.30 |
発行所 | 旺史社 |
ページ | 287-288 |
出典備考 | 注:証言の描写は「羊楼峝の部落は、南北に山が迫った帯状の谷に位置し、30戸ほどの貧相な家が固まっているだけ」とある。グーグルマップの航空写真を見ると、この描写と羊楼洞村の位置とが一致する。また「趙李橋付近の鉄道線警備を担当」とあり、現在も粤漢鉄道付近に「趙李橋鎮」がある。羊楼洞村なら趙李橋からは、約4キロ程の南東の位置であり、警備駐屯地としては適切な位置と思われる。本証言は浙贛作戦の項で記述されているから、1942年のことであろうか。 |
備考 |
浙贛作戦から帰った夏/テキサス大学図書館公開の中国地図・岳陽(シリーズL500、1954~)に「羊楼崗」がある。羊楼司ではなく「羊楼崗」である。地図の「6-7」にある。現在の地図で同所は「赤壁市羊楼洞村」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・岳陽は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-12.jpg |