記載内容 | 私は何気なく、応山の警備隊長を訪ねたところ、思いがけなくも若林少佐にめぐり会えたのだった。隊長室へ入って行くと、彼は「おーッ」と奇妙な声を出し、「よく来たなァー」といって喜んでくれた。八字髭を生やし、ここでは堂々たる隊長振りをみせてていた。日が暮れると若林は、「おい、飲みに行こう」といって「とい街」に出かけた。「とい」とは何のことだかわからなかったが、「特殊慰安所」の「特慰」を、平がなで略して「とい」と呼んでいた。武漢作戦終了後、第3師団が応山に駐屯していたため、「特殊慰安所」がつくられた。家は十数軒、ここには珍しく日本の若い女がたくさんいた。昼間は兵隊のために客をとる。夜は将校のために酒の相手をする。夜更けると将校といっしょに寝る。それが特殊慰安婦だった。若林隊長はそのうちの顔なじみらしい1軒に入って行った。いつもは賑わう「とい街」だというが、作戦中で兵隊が前線へ出てしまったので、ひっそりしていた。若林と私が入って行くと、3,4人女が出てきた。・・・そのうちの1人、丸顔の可愛い娘にきいてみると、「私は何も知らなかったのね。新宿の喫茶店にいたのだけれど、皇軍慰問に行かないかってすすめられたのよ。皇軍慰問ということがどういうものかも知らなかったし、話にきいた上海へ行けるというので誘いに乗っちゃったの。仕度金も貰ったし、上海までは大はしゃぎでやってきたら、前線行きだという。・・・きてみたら「とい街」だったじゃないの。いまさら逃げて帰るわけにも行かないし、あきらめちゃったわー」 |