出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 随州市 広水市 |
資料にある地域情報 | 応山 |
慰安所があった時期 | 1939年7月末 |
記載内容 | 三 応山日本人街 日本軍の占領する処には必ずその後を追って娘子群の一団が進出してくる。大部隊の駐屯する所には軍の許可を受けて特別慰安所が開設され将兵相手のサービスがなされる。応山も又この例に洩れなかった。城内の一角に日本軍将兵専用の喫茶店、小料理屋、特別慰安所があった。中国人の商店街が日本人街に代わったのである。私の健康が回復した頃、応山特別慰安所の検診医官を命ぜられた。野病の検診医官と交代したのである。この突然の交代には色々の噂が流れた。66を無料で注射をしてやる代償に無料サービスを受けていたとか、モルヒネ注射で上手に遊んでいるとか、同一部隊では改革ができないので衛生隊に代行させるのだ、と言った具合であった。某医師が帰還の折、花代を多額に請求されて狼狽したニュースが流れたのもその頃であった。検診医の任務は慰安婦の検診が主であって、花柳病予防に主力が注がれた。毎週1回の検診によって合、不合格が決定される。その結果が会報となって各部隊に流される。・・・ 喫茶店の女給が軍隊用の昇汞錠を20錠程飲んで自殺を計った。服毒が狂言であったか、否かは私は知らない。だが原因は失恋にあった。・・・軍医と慰安婦の悲恋の物語で粉飾も誇張もない。将校特慰に足しげく通って相思相愛となり、彼と彼女の仲は誰知らぬ者がいない程であった。・・・彼が帰還の途につくと同時に彼女の姿も応山から消えた。 |
証言者 | 稲垣照相 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 応召懐古 |
著者、公文書発信者など | 稲垣照相 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1969.4.11 |
発行所 | 私家版(名古屋市) |
ページ | 46, 47,70,71,72 |
出典備考 | 注:45pに「師団衛生隊に着任して私の戦地での生活が始まった。昭和14年7月末である」とある。71pに「特慰楼主と慰安婦」の写真がある。 |
備考 |
かつて応山県があったが、1988年に改編され広水市となった。テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸(シリーズL500、1954~)に「応山」がある。地図の右側中央上寄り「6-0」にある。現在の地図で同所は「広水市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-4.jpg |