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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 随州市 広水市 武勝関鎮
資料にある地域情報広水
慰安所があった時期
記載内容警備地区も広水へと替った。・・・慰安所や兵隊専用の食堂へは、腕章を付けて、時々衛生巡視に行った。慰安所は慰安婦も楼主も半島人であって、毎月野戦病院で検査が行われ、その結果がガリ版刷りの会報で各隊へ知らされた。ほとんどが「乙」の急性子宮内膜炎に冒されており、中には「丙」の亜急性淋毒性尿道炎を患っている者もいた。勿論「丙」は商売をすることは禁じられていた。みんな若い女が多かった。強制連行の事実や、てい身隊と偽られて連れられてきたということを知ったのは、大東亜戦争(第二次世界大戦)終了後数年たってからのことである。
証言者尾川新一
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル東洋平和の旗印の元に
著者、公文書発信者など尾川新一
公文書宛先
発行日1996
発行所私家版(愛知県)
ページ32
出典備考
備考 広水とは広水鎮で、現在の広水市武勝関鎮のこと。テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸(シリーズL500、1954~)に「応山」がある。地図の右側中央上寄り「6-0」にある。この地図の東隣りの地図(中国・MA-CH'ENG)の左端に「広水鎮」(信陽から南下する鉄道の駅があったところ)がある。要するに旧・応山の東に旧・広水鎮があった。現在の地図で広水鎮は「武勝関鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸及びMA-CH'ENGは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-4.jpg
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-1.jpg
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