出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 荊門市 鍾祥市 |
資料にある地域情報 | 安陸 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 最初、安陸にいまして、そして宜興という所に派遣に回りまして。・・・というのは、本部が安陸というところにありまして。そこまで歩いて20里か30里ほどあったでしょうか。そこに帰った時、中国人の女性が「さげひばち」いうて昼間からちょっと色のついた服とか、身なり化粧して。部隊に囲いも何もないから、すっと出てきて。まあ、今で言う売春ですわな。それに来ているわけやけど。・・・安陸などに行くと、板張りなどをして、のれんをつっていたかもしれません。 |
証言者 | 78歳 男 兵庫県 |
証言者属性 | 日本軍兵士・衛生兵兵長 |
部隊名 | 大阪4師団 |
資料タイトル | 性と侵略――「軍隊慰安所」84ヶ所 元日本兵らの証言 |
著者、公文書発信者など | 1992・京都「おしえてください!『慰安婦』情報電話」報告集編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.7.31 |
発行所 | 社会評論社 |
ページ | 122-126 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸(シリーズL500、1954~)に2つの「安陸」がある。地図の「5-4」の「鍾祥(安陸)」と「5-6」の「安陸(徳安)」である。武昌50万分の1の地図でも同様である。アジ歴で安陸で検索した7つの公文書ではすべて前者であった。現在の地図で同所は「鍾祥市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-4.jpg |