出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 孝感市 応城市 |
資料にある地域情報 | 湖北省 応城 |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | その頃、沙市の慰安所に日本名を英子という姑娘がいた。・・・私が登楼した最初の日、母親が私のもとへ挨拶にきて、コップに盛った老酒(ラオチュ)をさしだした。こういうことは、応城でも、他のどこの慰安所でも経験しなかったことなので、私のほうがまごついてしまった。英子は中国名を呂美英(ロミイン)といい、22歳だということだったが、出身地は、どこか遠いところといってぼかしていた。あまり身辺のことは知られたくないようであった。 |
証言者 | 森金千秋 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 華中戦記 泥沼の大陸最前線 |
著者、公文書発信者など | 森金千秋 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1976.4.25 |
発行所 | 図書出版社 |
ページ | 207 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・孝感(シリーズL500、1954~)に「応城」がある。地図の右上付近「4-2」にある。現在の地図で同所は「応城市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・孝感は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-8.jpg |