出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 孝感市 応城市 湯池鎮 |
資料にある地域情報 | 湯池 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 俺がはじめて彼女たちに接したのは、12年12月、聯隊本部で補充兵到着の申告の時であった。皆、白いエプロンで国防婦人会なるタスキを掛けて動きまわっていた。今思うに、何かの宴会でもあって出張サービスでもさせられていたのかも知れない。まさか我々補充兵の歓迎用ではなかったろう。その後、河口鎮・皂市・湯池・京山・東陽鎮・安陸・沙洋鎮・宜昌・龍泉舗・鴉鵠嶺といろいろの土地を移動したが、いずれの町でも親しく彼女たちに接することができた。そしてこれらの戦場慰安婦の大部分が朝鮮の女たちだった。・・・ 昭和15年、第一次宜昌作戦出動のため皂市の警備地を出発したのは、4月25,6日ころであったと思う。深夜、我々山砲隊は、慰安所の前を通過することになっていた。彼女たちは全員で待っていた。 |
証言者 | 宮村於莵松 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 山砲隊 |
資料タイトル | 生きる:戦時下しばた市民の記録 |
著者、公文書発信者など | 坂井正義監修、戦時下の庶民史刊行会編集室編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1982.11 |
発行所 | 戦時下の庶民史刊行会 |
ページ | 58-61 |
出典備考 | 宮村於莵松「哀れ戦場慰安婦」 |
備考 |
現地図の安陸市の南西方向に湯地鎮がある。湯地鎮の南に皂市鎮がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・孝感(シリーズL500、1954~)に「応城」がある。現在の地図の応城の西に「湯地鎮」がある。テキサス大学の地図「2-2」には「湯地鎮」見えず。テキサス大学図書館公開の中国地図・孝感は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-8.jpg |