出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 湖北省 荊門市 |
資料にある地域情報 | 湖北省 荊門 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 慰安所 慰安所とは軍隊の女郎屋であって、そこの女性を通称Pと呼んでいた。その女性達は日本、朝鮮、支那人の三国人にかぎられていたが、日本の女性は将校用で兵には手が届かず、兵はもっぱら白パンの朝鮮女史か、手鼻をかむ支那娘に限られていた。・・・ 演芸会 連日の作業、作業で遊ばすことを知らない隊長かと思っていたら、通信講堂の落成記念に、演芸会を行う旨の命令が出た。・・・衣装は日本P、支那P、荊門在住の邦人から借受けて、どうにか恰好はついたが、・・・ |
証言者 | |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 湖北 第三十九師団通信隊小史 |
著者、公文書発信者など | 39DTL会黄坡会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1972.8 |
発行所 | 39DTL会黄坡会 |
ページ | 251-254 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠(シリーズL500、1954~)に「荊門」がある。地図の下端中央右寄りにある。現在の地図で同所は「荊門市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-3.jpg |