出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 荊門市 掇刀区 |
資料にある地域情報 | 河北省 荊門県 雑樹店 |
慰安所があった時期 | 1941年頃 |
記載内容 | 荊門県の李家・雑樹店・江陵県沙市・宜昌県白雀寺の4ヶ所には慰安所施設がありました。特に李家・雑樹店の2ヶ所では慰安所を直接管理する「警備隊本部庶務係」の受付を担当していたので、この問題について比較的多く証言できます。1941年、私が慰安所業務にはじめてかかわった時に渡された「慰安所業務に関する規定」の始めには、「慰安所設置の目的は、将兵殺伐の気風を緩和し、軍紀、戦意高揚の一助とする」と明示されていました。・・・軍は業者の経営権を握り、「諸規定の履行、不確実なものは営業停止しまたは退去を命ず」とあるように、慰安所運営は全面的に軍が管理運営していました。1941年、李家に駐留中、慰安所が来るとの通報が入り、本部は急きょ各中隊から大工・左官の経験のあるもの全員、また、多数の使役兵を動員して突貫工事を行い、短期間で完成させました。・・・ここでの生活用品(食料・燃料・日用雑貨品など)のすべてが、警備隊(大隊)本部経理委員から売買の形式で補給されていました。 |
証言者 | 久保田哲二 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 39師団広島歩兵第11連隊 |
資料タイトル | 加害の体験を見つめて |
著者、公文書発信者など | 久保田哲二 |
公文書宛先 | |
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出典備考 | 『季刊中帰連』第20号、2002.3.1、「中帰連」発行所、60ページ |
備考 |
現地図には、雑樹店と推定できる地名がないので、行政区画上の上位の「荊門市掇刀区」でとった。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)に「掇刀石」があるが、「雑樹店」は見えず。「掇刀石」は地図の上端「1-2」にある。沙洋10万分の1の地図に、掇刀石の西方直ぐに「雑樹店」がある。現在の地図で「掇刀石」は「荊門市掇刀区」中心部である。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg |