出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 宜昌市 |
資料にある地域情報 | 宣昌 |
慰安所があった時期 | 1944年頃 |
記載内容 | 「うむ安田博という上等兵で宜昌の前線に出ているらしいんだ。ユリの話によるとたった二人の兄妹で家庭的に恵まれない不幸な兄妹らしいんだよ。・・・」然しこれは実に有力な内定調査だった。・・・間もなくまた第二報の調査報告が入って来た。それには、安田上等兵は兵の身分にも拘わらず、金遣いが荒く、この金は妹から送金して貰っているというが、慰安所の慰安婦田中明美と呼ぶ女を殆んど独占し、部隊でも注意人物になっている。今一つは、部隊の駐屯している附近の部落で若い娘の強姦殺人事件があったが、犯人を厳重追求しているが今もって不明、或いは、安田上等兵の仕業ではないかと見られているという報告でもあった。・・・“犯行のあった夜、安田は慰安婦明美のところに泊ったという話だが、実際には明美が当夜は生理日であったため泊りに行かなかった。だが、7時から9時まで安田は外出していた。・・・この2時間の行先だけが問題の鍵となる”“その後、安田は或る時、明美に「俺はある中国人の女を殺したから、愈々の時は一緒に死んでくれ」と語ったことがある”・・・時を移さず、安田の情婦といわれる明美のいる霧島館という家にすッ飛んで行ったのは、事件発生後30分ばかりの時刻である。・・・駆けつけて見ると、六感違わず、今から10分程前に安田が来て、ちゃっと用事があるからといって明美を連れ出したという話だ。・・・無理もない。安田は何しろ通称『宜昌の虎』という異名をつけられている名代の不良兵である。・・・安田はすぐさま逃亡の駄賃に石浜兵長の、拳銃腕章を奪い、鉄条網を潜り抜けて霧島館に飛び、明美を連れ出して共に逃亡したのだった。 |
証言者 | 宮崎清隆 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 憲兵 |
著者、公文書発信者など | 宮崎清隆 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1955.9.10 |
発行所 | 東京ライフ社 |
ページ | 172, 181, 189, 190,191 |
出典備考 | 『憲兵』は1970.11.30、創思社より再刊 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)に「宜昌」がある。地図の左上「2-9」にある。現在の地図で同所は「宜昌市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。 https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg |