出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 衡陽市 |
資料にある地域情報 | 衡陽の下流7、8キロの部落 |
慰安所があった時期 | 1945年6月 |
記載内容 | 6月の末、衡陽の下流約7、8キロメートルの部落に待機する事になった。我々、木部分隊はそれぞれ分散して船をつけろという命令が出た。・・・近くの山へ米軍機が落ちた。・・・〇〇一等兵はその剣銃で・・・この男を川岸に連れこんでそのピストルで殺したのである。・・・〇〇一等兵というのが普通の人間ではない。酒を飲めば酒乱で手のつけようもないし、我中隊では知らぬものがない。・・・〇〇一等兵が意外な物を徴発して来た。見れば16、7才の姑娘、2人の首に縄をしばりつけまるで犬でも連れて来るようなかっこうでいきようよう帰って来た。見ればその娘は美人で服そうも良い。〇〇一等兵は私に大きな声で言った。「今日から慰安所を開設する。皆んな遊べ」と言うてクウニャンを防空ごうの中に入れた。しかしなかなか言う事を聞かないらしく中で泣き声がする。見るに見かねて私が中へ入っていった。〇〇一等兵は2人の姑娘の指を折ったらしい、右手の中指とべに指がはれ上っている。・・・それから2日過ぎた夕方私が遺骨に線香を上げにいった。2人の姑娘は中で寝ている。相変わらず首に一筋の縄で2人をつないでいる。・・・此の男の留守に女を逃がしたならば我々がひどい目に合わなければならないことになる。姑娘にその旨話した。今から一緒に一パイ飲んで夕食をするように進めた。2人の女は2日間ぐらい何も食べていないのでふらふらしている。・・・此の時だと思って姑娘に相図した。2人は急いで山の中へ逃げた。 |
証言者 | 伊藤三男 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | 暁第2957部隊 |
資料タイトル | 戦祀 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1972.12 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 366-367 |
出典備考 | 伊藤三男「ありし日の日記」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANG(シリーズL500、1954~)に「衝陽」がある。地図の左上「5-7」にある。現在の地図で同所は「衡陽市」である。衝陽市は約100キロの円形の中心部にある。テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-8.jpg |