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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報江西省 南昌市 南昌県 尚諶店
資料にある地域情報尚諶村
慰安所があった時期
記載内容 食堂
外地駐留兵にとって、僅かに安らぎの時があるとすれば、それは食堂で飲む安い酒と、慰安所通いであったかも知れない。・・・
 慰安所
慰安所については、本文の中で少し触れたが、部隊本部(大隊以上を部隊という)の所在地には大抵慰安所と食堂があった。経営者は日本人で、花柳界出身の婆さんか、現地除隊した旧軍人であった。ここで働く女達は、所謂「から行きさん」である。今ではこの言葉よりも「ジャパ行きさん」と言った方が解り易いか知れない。遠く祖国を離れて売られて来た女達か、現地で強制的に連れてこられた遊女が、心ならずもからだを売って暮らしているのである。
証言者木下司
証言者属性日本軍兵士
部隊名歩兵第218連隊通信中隊
資料タイトル日中戦争二五一四日-歩兵第二百十八連隊通信中隊の誕生から終焉まで-
著者、公文書発信者など木下司
公文書宛先
発行日1987.4.5
発行所私家版(西宮市)
ページ218-220
出典備考注:著者略歴に「昭和15.3 歩兵第218連隊通信中隊へ転属(第2次錦江、第2次長沙、浙贛、江南残滅、撫河渡河、湘桂、桂柳の各作戦に参加)」とある。219pの「慰安所」の箇所には具体的な地名は記されていないが、部隊本部の所在地には「大抵慰安所はあった」という。本資料から部隊本部の位置を探すと、52pに、丁坊丁及びその北側高地に連隊本部が、谷山章村及び柏山高地に第1大隊本部が、東壇に第2大隊本部が、尚諶村に兵団司令部があったと記されている。また、これは配備変更後であろうか61-62pには、第1大隊本部は尚諶村に、第2大隊本部は新塘喩に、第3大隊本部は風樹下陳村にあったと記され、その位置は変更になっている。ここでは代表として、師団司令部及び第1大隊本部があった「尚諶村」についてとった。53p「南昌東南地域要図」に南昌市中心部の東南方に「尚諶村」がある。なお、尚諶村の東方に河川「撫河」がある。略歴の「撫河渡河」とはこの河川を渡河したのであろう。
備考 p52に地図あり
著者略歴に「昭和15.3 歩兵第218連隊通信中隊へ転属(第2次錦江、第2次長沙、浙贛、江南残滅、撫河渡河、湘桂、桂柳の各作戦に参加)」とある。
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