出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 広州市 |
資料にある地域情報 | 広東省 広東 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | また、広東に来て初めて知った言葉に「慰安所」がある。これは内地の遊廓に当たるのであろう。若い青年達が内地から遠く離れた外国に来ているのだから、慰めの一時を女性と戯れたり遊んだりする所があっても不思議ではない。兵らは夜間外出が禁止されていたから、昼間の外出時にそんな場所が賑わうのも当然だろう。顔見知りになったある兵が「軍医殿、面白い慰安所がありますよ」という。「慰安所なんか面白くもないではないか」「それがただの慰安所ではありません。実はそこに中年の女がおりまして、中年だから客が少ないと思ったらそうではなく、特定の客だけを集めて、あそこに筆を銜えさせて字を書く芸を見せるんです。『祈武運長久』と書いてくれて、これを持っていると運が強くなるそうです。ですから軍医殿、一度行きましょう」 |
証言者 | 笹瀬博次 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | |
資料タイトル | インパール作戦-コヒマへの道 |
著者、公文書発信者など | 笹瀬博次 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.10.30 |
発行所 | 日本教育研究センター |
ページ | 13 |
出典備考 | 注:著者略歴に「1942年2月 応召、南中国派遣」とある。 |
備考 | 著者略歴に「1942年2月 応召、南中国派遣」とある。 |