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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報広東省 広州市 天河区 龍眼洞
資料にある地域情報広東の北方約3キロの龍岩胴
慰安所があった時期1943年3月頃
記載内容暗号兵から聞くと、ここは広東の北方約3kmの所にある龍岩胴と言う地名である。城壁のない小さな部落で、私達の部落左側には大きな池があり、小魚が泳いでいるのが見えた。ここでの滞在は4月一杯とか聞いた。今までの作戦中では一番長い駐屯であろう。・・・約50日駐屯している内に、1回も広東の町に行かないのは私くらいのものであったろう。馬車が定期的に通っているので、ロハで乗れたそうだが、私は電鍵を握らねばならない責任もある。・・・しかしピーヤに行くと、10円札1枚あれば、おつりが来たと言うから安いものであった。しばらくして、私達の部隊にも慰安所が開設された。中国語ピーヤであろう、日本の赤線地帯と言う程の大規模なものではない。多分5人~6人であったろうと記憶しているが、あまり定かではない。このピーヤが事もあろうに我が分隊の西側に設置された。女の親方とでも言うか、ヤリテババーとでも言うか、日本人に対する対応の仕方を教えるのが聞こえる。・・・「皆良く聞け、分隊長が今まで大切に持っていた物を、町で売った金がある。これを分けてやる」と言いながら、1人当たり50円宛渡した。5人の分隊員に分け与えよう・・・一人当たり50円宛渡した。5人共ビックリしたらしい、その札を良く見ながら何回も数えている者もいた。「良いんですか班長殿」と言って遠慮している初年兵もいた。私は胸を張って「いゝよいゝよ、皆で交替で遊んで来い」とピーヤを指さした。
証言者山口忠太郎
証言者属性日本軍兵士・分隊長
部隊名第27師団(極兵団)
資料タイトル戦跡のしおり
著者、公文書発信者など山口忠太郎
公文書宛先
発行日1993.4.1
発行所まつやま書房
ページ102-104
出典備考注:100p、101pに「こうして丸1ヶ月南へ南へと下って行くことが分かる。2月も末と言うのに暖かさを感じる」「広東へ入ったのが3月5日頃と記憶している」とある。また著者略歴に「昭和18年1月、大東亜戦争に参加」とあり、本証言は1943年のことである。
備考 龍岩胴の位置。「広東の北方約3kmの所」よりは遠いが、広州市北方に「龍眼洞」がある。香港50万分の1の地図に同所に「龍岩洞」がある。ここでとった。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の広州北東に「Lung-yen-tung」がある。ここが龍岩胴と思われる。地図の「4-6」にある。現在の地図で同所は「広州市天河区龍眼洞」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg
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