出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 広州市 天河区 沙河 |
資料にある地域情報 | 沙河 |
慰安所があった時期 | 1940年5月 |
記載内容 | 昭和15年5月、野戦生活いくばくもない私はあれこれとあわただしい出来事の連続のため、深く考えるところあって外出の申し出を為さなかったら、幹部の方より「お前は如何なる理由で外出しないのか まだ1回も外出者名簿に お前の名が載っていないではないか」・・・「そんな堅苦しい事は考えず、時には人並に外出し 慰安所にでも行って英気を養わんと体が続かないぞ」「……」とすすめられ、一度後学のためにと次回の日曜日に外出を願い出て 沙河の街の慰安所なる処を訪れて見たが、何のことはない 売笑婦の巣窟だった。・・・͡この様な御祭り気分の馬鹿さわぎが原因でもあるまいが、しばらくしてお互いの心の馳みから同年兵一人の事故死があった。亡くなった本人に追い討ちをかけるようで申し訳ないが、一言ふれて本人の霊を慰めたい。作戦帰りの気の荒んだ心ない一部の者が、違法行為と知りつつ、夜間巡察の名のもとに、衛兵勤務の間隙をぬって慰安所街に出かける行為を君は当然と受けとったのか。あの時君はもう少しの自制心があったならと惜しまれてならない。それがなかったばかりに、同じ行為を繰り返し情慾のとりことなったのは不覚だった。結果は師団の巡察将校にとがめられ、更に隊長の激鱗にふれ、自責の念にかられたのだろう。立哨中ガソリン倉庫に片隅に座して、自ら放った一発の銃声と共に、前途ある身に終止符を打った君を東京の蓮沼教育隊銃器班出身の同年兵の一人としてこの汚点を今なお残念に思う。 |
証言者 | 森龍巳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 陸軍技術兵の記 一技術下士官の回想 |
著者、公文書発信者など | 森龍巳 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1969.8.15 |
発行所 | 自費出版(佐世保市) |
ページ | 59,62 |
出典備考 | |
備考 |
香港50万分の1の地図には、広東(広州)の北東方向直ぐの所に「沙河」がある。現在の地図の同所にも「沙河」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の広州北東直ぐの所に「沙河墟」がある。地図の「3-6」にある。現在の地図で同所は「広州市天河区沙河」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg |