出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 東莞市 |
資料にある地域情報 | 広東省 東莞県東莞 |
慰安所があった時期 | 1942年頃 |
記載内容 | なお東莞県東莞に分遣隊として派遣勤務を命ぜられ、即日軍用トラックに便乗して現地に着いた。・・・香港攻略によって島民は食糧や仕事を失い、天秤棒に身の廻り品を吊して九龍半島より広東に移動が始められたが、コレラが蔓延し病に倒れる者、感染による保菌者が続出した。・・・また一方、毎月1回慰安所(朝鮮、チャイナ)の検梅も青木軍医に同行し成績を出した。梅毒や淋病、第四種性病に罹患しているピー(慰安婦)は休業と称し、治療を受けた。 |
証言者 | 浦部弘 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第51師団第2野戦病院 |
資料タイトル | 死のサラワケット山越え 東部ニューギニア、ジャングルの撤退 |
著者、公文書発信者など | 浦部弘 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.8.1 |
発行所 | 私家版(藤岡市) |
ページ | 41 |
出典備考 | 著者略歴に「昭和16年8月 応召」とある。香港攻略後のことにふれているので、1942年と思われる。 |
備考 | 著者略歴に「昭和16年8月 応召」とある。 |