出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 広東省 佛山市 |
資料にある地域情報 | 佛山 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | 翌年、香川の部隊は南海県佛山市に移駐した。佛山は、広東から珠江を西に渡る。・・・佛山には、軍慰安所ばかりでなく、遊郭も乱立していた。佛山にあった軍慰安所は、5ヵ所である。「大門楼」には、10人ほどの中国人慰安婦がいた。女性たちはパーマをかけていた。・・・その頃も「小さな作戦は、しょっちゅうあった」という。作戦から帰ると兵隊たちはこの慰安所に駆けこんだ。・・・佛山の慰安所では正月、兵隊に「祝儀袋」が渡されたという。(*写真はそのときの祝儀袋)佛山には、日本人慰安婦ばかりの慰安所もあった。料金は朝鮮人慰安婦の倍の3円である。「大阪出身の日本人慰安婦と話したんですがね、彼女は台湾で娼妓をしていて流れてきた女性でした。騙されたといってましたよ。前借金があったんですが、いくら兵隊をとっても借金が減らない。楼主ばかりが儲けていたんじゃないですか」 |
証言者 | 香川弘三 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第70連隊 |
資料タイトル | 従軍慰安婦と十五年戦争 ―ビルマ慰安所経営者の証言 |
著者、公文書発信者など | 西野留美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.5.30 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 63-64 |
出典備考 | |
備考 |
広州市の南西に佛山市がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)に「南海NANHAI(FATSHAN)」がある。地図の下端「1-5」にある。FATSHANが佛山であろう。現在の地図で同所は「佛山市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg |