出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 佛山市 南海区 大圃 |
資料にある地域情報 | 大圃 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 10月になると、部隊は敦厚から大圃というところへ移動した。そこには、4中隊、私のいる5中隊、6中隊、第2大隊、連隊本部が集結した。私たちは、何かありそうだな、という予感がした。武器も、野砲から山砲に代わり、部隊称号も「沼第8927部隊第5中隊」と改められた。このころ中国大陸は、どこへ行っても、無気味な街が多かったが、われわれが新たに駐屯した大圃という街も、小さな暗黒街で物騒な街であった。・・・その兵隊さんたちの目的は、性欲の処理であった。彼らは夜な夜な、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とばかり、こっそり外出して行くらしかった。そのことは、すでに隊長の耳にも達していた。ある日、隊長は、私にその情報を探索してこいと命じた。私は部隊にいるなじみの使用人を同伴して、商人の息子の風采で昼間の街に出かけた。夜と違って、それほどの無気味さはないが、使用人の陳さんの案内で、街はずれの娼婦の家もすぐ見つかった。「ピー屋(娼家)は、ここですよ」と、陳さんが教えてくれたが、昼間のせいか、ひっそりとしていた。私は場所だけ確かめるとそのまま行き過ぎて、街を囲む城壁の外にある大きな四角い養魚池のそばまで行ってみた。・・・私の提案は、さっそく功を奏した。45,6の男が、すぐ目の前に2軒並んだ2階建ての家がそれだ、と教えてくれた。・・・ピー屋の前に立つと、私は隊長の命令でマダムを呼んだ。・・・マダムが両手を軽く打つと、間もなく7人の娼婦が、それぞれ着飾った身なりでおりて来て、私たちの前に立った。 |
証言者 | 浅井計弥 |
証言者属性 | 日本軍通訳 |
部隊名 | 沼第8927部隊第5中隊 |
資料タイトル | 戦いの灯は消えず |
著者、公文書発信者など | 浅井計弥 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1969.6.30 |
発行所 | 大泉書店 |
ページ | 170-175 |
出典備考 | 1930年代末ごろ、広東省で母親と暮らしていた11歳のころ、母親が「息子を父親のいる日本へ」と日本軍に浅井さんを託したが、通訳として使われ、敗戦まで6年にわたって戦場にいた。 |
備考 |
佛山市で検索すると、南海区に「大圃」がある。広州市の南西に佛山市がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)に「Ta-pu」がある。地図の下端「1-5」にある。Ta-puが大圃であろう。現在の地図で同所は「佛山市南海区大圃」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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